■約50年前からの高架路線で旧国道を越える

 高師浜線の「高師浜」という地名は歴史が古く、『万葉集』にも「大伴の高師の浜の松が根を 枕き寝れど家し偲(しの)はゆ」(大伴にある高師浜の松の根を枕にして寝ると、家のことがしみじみと思われたよ)と詠まれている。

 大正時代になって宅地開発が行なわれた高師浜は別荘地としても利用され、また海水浴場に近いリゾート地としてももてはやされた。わずか1.4kmという短距離路線が敷設されたのも、屋敷や別荘を構えた有力者の働きかけや観光客の利便性を考慮したものだ。

 さて、伽羅橋(きゃらばし)駅を出た電車は、陸橋をわたって府道堺阪南線(旧国道26号線)を越える。

旧国道26号線をまたぐ陸橋

 伽羅橋駅からの線路が高架化されたのは1970年で、大阪万国博覧会が開かれた年だ。高度経済成長期の真っただ中ながら、大阪府南部の幹線道路といえるのは国道26号線しかなかった。踏切による渋滞を避けるためにも、高架化は必要だったのだろう。